2013年12月29日日曜日

2003年10月2日

ヤッホー、皆んな〜、元気か〜い?

先月28日の音楽会、

そう、僕が聴きに行きたかった例の室内楽のマチネ、

素敵だったんだってね。

いいなぁ、ホールに入れる人間は。

2本足でしか走れない上、4本とも足を使ったとしても、

犬さまには「水すら手渡す事ができない」のに、

人間には入場が許されていて

犬は音楽会を聴きに行く事が通らないんだ。

今の社会は文化がないよね?。

なぬ?

今の発言、気になるのかな?

でも、僕は映画館に連れていって貰ったとしても、

静かにしていられる程の文化犬なんだからね。

レストランだって、ドイツ時代の事だけど、

お料理のいい匂いにも負けず、

テーブルの下でお行儀良くしてたもん、

ト〜ゼンの常識。

そんな事を言っているんじゃないって?

え?

今の表現の意味?

ああ、これはね、ドイツで使う言い回しだよ。

「誰々に水すら手渡す事ができない」、というのは、

例えば犬と人間との駆けっこでは、

人間は足が遅すぎて犬には完敗するから、

人間は素晴らしい能力を持つ犬に

「水すら手渡す事ができない」、と言いたかったんだ。

水とは飲み水の事だけど、

そのコップ一杯の飲み水を手渡す事すら

許されない身分か立場だ、と言う事。

日本では「誰々の足元にも寄れない」、という諺があるでしょ?

グッフッフ。

話を戻すけど、

28日に新ブダペスト弦楽四重奏団の演奏会があったでしょ?

素敵な音楽を聴かせてくれたんだって!

僕のご主人さまは、彼等と後半で協演できて、

本当に憎い程の幸せ者だよな。

ご主人さま曰く、とってもとっても幸せな一時だったって。

いつまでも余韻が残る、幸せ一杯の室内楽の一時。

良かったね?、って応えたんだけど、

僕は内心うらやましくて・・・。

また言うけど、音楽会が聴ける盲導犬達がうらやましいー!

そう。正直な僕である。

今、ご主人さまが取り組んでいるのは、「ショパンの夕べ」なんだ。

10月24日の大阪でのリサイタルがかわきりで、

11月1日は天草、

11月14日は名古屋、

11月28日は十日町

(元祖雪まつりと着物で有名、それから僕の大好きな雪が多い!)、

12月6日は東京で行われるんだよ。

曲目は?

楽しみにしててね、素敵なプログラムなんだから。

あ、そうだ、

僕の・・・あ、いや、失礼、

ご主人さまのこのホームページに演奏会スケジュールが載ってるから、

確かそこに書いてあると思うけど。

マズルカや、幻想曲、色々な遺作のノクターン、そして3番のソナタね。

ご主人さまにね、インタビューをして来たから

(僕、なかなかのやり手でしょう?

人間社会の会社だったら、とっくに管理職?だったりして。

うん?そりゃあ、僕にとってはどうでもいい事だけど。

唯ね、犬である以上、自意識が発達しているから、

多少は誉められたい、という願望が僕の犬心を燻るので・・・、という事)

載せるよ

ウ「この度は〜、お忙しいところ、お時間を作って戴きまして〜・・・」

由「なに畏まっているの?おかしいわね。いつもの感じでいいんじゃないの?」

ウ「あはははっ・・・ちょっと格好つけちゃったかな。
  ほんじゃあ、膝の上にジャ〜ンプっ、とかでも・・・?」

由「インタビューなんでしょう?少しは真面目であって欲しいわ。」

ウ「ンニャーッハハハッ、いやはや、ご尤も。拙者とした事が・・・
  面目次第もござらん。いざ、お手合わせ願いたく参上つかまつり候・・・。」

由「・・・・・」

ウ「ゴホン、・・・(油汗)。え?っと、今回の曲目を選んだ訳は?」

由「そうね、ショパンがとても弾きたくなったの。」

ウ「いつもそんな感じで選曲をするのかい?」

由「音楽会の主催者側から曲のリクエスト等がなければ、
  先ずは自由に自分の心に聞いてみるの。
  そうすると必ず、弾きたい、と思う曲があるのよ。
  その曲を、プログラムのどの辺に持ってくるかを考えて、
  後は前後にどういう曲が合うか、考えたり、
  色々な曲を引っ張り出して弾いてみたり。
  そうこうしている内に、あ、あれも弾きたい、これも弾きたい、
  とはっきりしてくるのね。
  曲の分数の事もあるけれども、
  各々の曲がどの順序でマッチするか、とか、
  調どうしが合うかどうか。
  それから演奏される曲の景色のような流れ、
  曲の性格や内容、何をメインとして後半に入れるか、
  別々の作曲家同士なら、
  時代的な流れがハーモニーしているか不自然ではないか。
  例えばソナタみたいな重心のある曲なら、
  同じソナタ形式の曲を二曲も入れると重くなるし、
  お客様にとっても面白くないから避けて、
  聴衆の方々にも楽しんで戴けるよう、
  違う形式や『物語』の曲を組んでいくのよ。
  時代的な流れは大切にするけれども、
  時には現代物を休憩の前に弾いて、
  馴染みにくい音楽の後に
  聴衆が休憩中に集中力をリフレッシュできるようにするので、
  例えばバロック時代の曲の次にきたクラッシック
  (欧米ではクラシックの中のクラシック時代の
  ハイドン、モーツァルトやベートーヴェンをクラシックと呼ぶ)
  にモダンが続き、休憩の後にメインであれば
  ロマン派や印象派の曲が置かれる事もあるのよ。」

ウ「へぇ〜、色んな事に注意しながら選曲するんだね」

由「そうなの。シュタードゥラー先生が
  毎回、毎回私と一緒にプログラムを考案して下さり乍ら、
  長年の中で教えて下さった、
  ヨーロッパの伝統的なプログラムの作り方なのよ。
  リサイタルの前半と後半、
  そして全体にも時間的なバランスもあるのよ。
  日本では少々短かめのプログラムでの演奏会が多いようで、
  私は良く『長過ぎないように!』と言われたりしたわ。
  あちらでは特別長い訳でもないのだけれども、
  こちらではどうしても少しは長くなりがちで。」

ウ「そうなんだ〜、日本とヨーロッパでは違いがあるんだね。」

由「ええ。それ以外にも、一般的に『ポピュラー』な曲と
  呼ばれている作品の『層』がかなり違うのよ。
  日本でポピュラーな曲として知られているものは
  ヨーロッパでも勿論ポピュラーだけれども、
  ヨーロッパで言うポピュラーな曲の数は、
  もっともっと沢山あって・・・。」

ウ「そんなに沢山?」

由「そう、知られている曲の幅がとても広くて、
  プログラムを組む時、もっと楽しいのよ。
  シュタードゥラー先生がいつも仰ってらしたのよ、
  『限られた数の曲だけで、
  まるでアタッシュケースに限られた品揃えの商品を入れて、
  ドアからドアへと行商してまわるような
  ピアニストになってはいけません。
  ピアノという楽器には一番沢山のレパートリーが存在します。
  最低限のレパートリー、
  つまり当然のスタンダード・レパートリーを
  できるだけ若い内に身に付け、
  更に生涯かけて広げていくように』と。」

ウ「スタンダード・レパートリーって?」

由「かなり膨大なレパートリーの事よ。
  でもそれが『スタンダード』、
  つまり最低限の常識、という事になるの。」

ウ「ふぅ〜ん。」

由「日本ではね、ポピュラーと呼ばれている
  曲の幅が本当に狭いものだから、
  主催者側が『なるべくポピュラーなものを』という
  リクエストを出してくると、選曲の度に悩んでしまうの。
  同じ曲ばかりが順繰りに演奏されるのも避けたいし、
  聴衆の方々には他にも
  多くの素晴らしい作品がある事を知って戴きたいしね。
  ヨーロッパのコンサートでは、
  色とりどりの曲を聴く機会があるのに対し、
  日本では何だか同じような曲ばかりよく聴かれるので、残念だわ。
  聴衆の方々も、知っている曲だけではなくて、
  同じ作曲家の別の作品や、同時代の別の作曲家、
  或いは別の時代の曲を知りたい、という熱き願いを持ってこそ、
  いわゆる『つう』と呼ばれるようになるのよね。」

ウ「成程、『通』かぁ。」

由「ショパンに話を戻すわね。」

ウ「うん!(尻尾を振る僕。やっとテーマに戻れそうだ・・・。)」

由「シュタードゥラー先生は、ショパンの音楽を教えて下さる時に、
  彼の曲の中に繰り返し表れてくる
  心の波に注目するよう導いて下さったのよ。
  今回も大阪・名古屋・東京にて行われる、
  日本ベアタ・ツィーグラー協会主催の
  秋のリサイタル・シリーズの曲目が
  オール・ショパンになったのは、
  どうしてもショパンのソナタの第3番が弾きたい、
  という強い願いがきっかけとなったのよね。
  ピアノで色々な曲を弾き乍ら、
  その都度「ピン」とくる曲を選んでプログラムを練っていたら、
  普通は、作曲家同士の時代の流れを大事にしたり、
  曲も各々の調が互いに合うかとか、
  性格や重み、そして作品の形式等でのバランスはどうなのか、
  等と考慮した上で曲目を組んでいくのに、
  何時の間にかショパンの作品ばかりになっていたのね。」

ウ「不思議だね。」

由「ええ。特にショパン没後何年というような縁りの年でもないのに、
  とにかくショパンを弾きたい、という想いが私を離さなかったので、
  気持ちに素直に従う事にしたの。
  詩情溢れるマズルカの中から、作品17を選び、
  その後に、静かに始まり乍らも「歌い」が
  膨らんでいくような幻想曲を続けさせ、
  まるで「音楽の景色」みたいになるよう、
  幻想曲の後に永遠の静けさの中に
  切なさと優しさも流れるノクターンを持ってきたの。
  よく見ると、意識せずに選んだ3つのノクターンは、
  すべて遺作のものだったの。」

ウ「偶然そうなったのかい?
  それともシュタードゥラー先生の事が
  『遺作』が集まった事に影響したのかなぁ?」

由「そうねえ。6月21日に81歳で亡くなられてから
  組んだプログラムだから、
  そうではない、と言い切れないわね。
  無意識の内にそうしたのかしらね。」

ウ「きっとそうだよ。」

由「休憩の後にプログラムのメインとして演奏するソナタ第3番も、
  なにかとシュタードゥラー先生との
  レッスンの思い出で一杯の作品だしね・・・。」

ウ「ほらね。でも、これが又、ショパンになったというのも面白いと思うけど。」

由「ショパンの音楽に感じる魅力とは、
  やはり彼のどの作品にも出てくる『運命に対する魂の叫び』なの。
  昔の時代、結核になってしまえば、先ず治る確立は非常に少いし、
  死ぬ事を待つしかなかったのよ。
  ショパンも、日一日、一日と病に屈していく
  自分の身体とは逆に、
  まだまだ自分の魂の中で響いている沢山の音楽を誕生させたい、
  という篤い願い、使命感に燃えていた筈よ。
  日によっては、作曲する為に
  起き上がる事すら出来ない事もあったりと、
  どれ程じれったい想いであったか。」

ウ「想えばそうだよね〜。
  僕がもし、大好きなボール遊びが出来なくなったら、
  と想像するだけでゾッとするよ。・・・・・・
  ギクッ・・・
  (ご主人さまの厳しい視線が僕の首の後ろをがっちりと掴む)。」

由「ま、ウイちゃんの次元からすると、その気持ちも解らないでもないけど。」

ウ「オッホッホ、優しいんだね〜 (内心、冷や汗をかいた)。」

由「どの曲にも出てくる、ショパンの『運命に対する魂の叫び」』は、
  自分の作曲活動の邪魔をする病気、
  運命に対する魂心の抵抗が大波の如く盛り上がり、
  でもやがて深い溜息として、
  まるで力尽きていくように絶望感が呼び寄せる
  静けさにと流れ込んでいくの。
  その静かなる響の中から美しい歌声として旋律が浮かび上がるけれども、
  その歌いの悲しさの中には、
  どん底の悲しみを味わった者のみが得る事のできる
  温かさや思いやりが輝いているのよ。」

ウ「なんか、心の世界の『月の光』を連想するなぁ。」

由「残された時間は一年なのか、
  一ヶ月か或いは一日かは、ショパンには解らない。
  でも、与えられた一瞬、一瞬を大切に、
  彼は音楽人生に命を懸けていきく。
  一瞬を、まだ与えられている、という事に気付いた時、
  暗闇の絶望と悲しみを一筋の、『希望』という名の光が照らして、
  ショパンの曲の中から溢れ出てくるのよ。」

ウ「ハーァ、タマシイが震えるぜ・・・。」

由「その希望は、大きな歓びとなって、
  『死を目前にした者の歓び』が、
  作品の中で大きなエネルギーの盛り上がりとして表われるの。
  どんなに悲しいショパンの曲も、最後は大きな歓びに行き着く。
  それが盛り上がりのフィナーレであろうと、
  静けさの中に溶け込んでいくような終わり方であっても、
  必ず『歓び』の次元でどの曲も終わるのよ。」

ウ「そうかー、それを考えた事がなかったなぁ!」

由「私が通っていたドイツの学校での文学の時間で、
  ある日『勇気』と『勇敢さ』についての話し合いがあったの。
  突き詰めてみると、『勇気』とは、
  その人が自分のしている事が例え無謀である故に愚かであっても、
  それに気付くことなく、『勇気』ある行動をし、
  『勇敢さ』とは、逆に自分がどれだけ危険な状況に置かれているかを認識し、
  恐怖と不安で膝がガクガク震えているとしても、
  何かの為、誰かの為に、あえて行動に移していく人の事を差す、
  という事がはっきりしてきたの。」

ウ「へぇー、そういう風にこの二つの言葉を使いわけるべきなんだなぁ。」

由「そういう意味で、私にとって、
  ショパンは本当に『勇敢』な人、
  『勇敢』な音楽家なのよ。本当の「『英雄』なのかも知れないわね。」

ウ「・・・・、・・・・。ウゥ、・・・」

由「あら、泣けてきちゃったの?」

ウ「うん。」

由「えらいわね。純粋だし。」

ウ「ご主人さまにとって、僕以外に「ヒーロー」と思える存在がいたなんて、
  初めて知ったよ。(項垂れる僕)」

由「やだわ、気取っちゃって!
  ウイちゃんはウイちゃんでしょ?
  自分を人と比べて嬉しい・悲しいを決めてはダメよ。」

ウ「そうか・・・(気を取り直して)・・・。
  やっぱり、先生の事とショパンの事とが色々な面で繋がったんだね。」

由「そうでしょうね。
  今回のリサイタルがショパンの夕べになったのは、
  ショパンの音楽の中で、
  悲しみが歓びへと生まれ変っていく素晴らしさを、
  シュタードゥラー先生の死によって
  悲嘆にくれた私自身の魂が強く求めていたからなのかしらね。」

ウ「ウ〜ム、なるほどね?。どんな演奏になるか、楽しみだなあ。
  大阪・名古屋・東京以外では聴けないプログラムなのかい?」

由「そうでもないわよ、
  大阪と名古屋の間に熊本県・天草のサンタ・マリア館で
  11月1日に弾かせて頂けるし、
  名古屋と東京の間で
  11月28日に新潟県の十日町市民会館でも
  同じプログラムが予定されているのよ。」

ウ「ヘェ〜、いいねえ。僕は雪が好きだからな、
  十日町は11月には雪が積もっているかな?。」

由「さあ、どうなのかしらね。私も雪が好きだから・・・。
  又ウイちゃんと一緒に深い雪の中を
  吹雪きに逆らって散歩でもしてみたいわね。
  久しぶりにね。
  でも演奏旅行へは連れて行ってあげられないわよ。」

ウ「分かってる。人生、そう甘くはない。」

由「オー、えらいわね。」

ウ「それはそうと、最後に一つ聞いていいかな?」

由「なに?」

ウ「ご主人さまは、何故インタビューの時、言葉使いまでお淑やかになるの?」

由「ガ〜ッハハハハッ!バレタカ〜!ギャハハハハッ、やーぁ、すんまへん。」

ウ「(小声で)これだよ、これ。
  だから誰も彼女に近寄らないんだよな。
  これじゃあ永遠にご主人さまにご主人さまができないだろなぁ。
  可哀想だけど、しょうがないよな。
  芝居でもいいから、モーちっと可愛くなんないもんかな?」

由「・・・。何か申したか?」

ウ「ウッ、・・・、イエ、その、別に何も?」

由「偽りを申すでないぞ。」

ウ「はっ、某の言上に相違ございませぬ。」

由「・・・。事と次第によっては容赦せぬと心得よ。」

ウ「ハハー。肝に命じておりまする。」

由「なんちゃって。」

ウ「・・・ドタッ・・・(とひっくり返る僕であった)」

皆んなー、僕の日頃の苦労を少し垣間見る事ができたしょう?

子供の頃から、日本に滞在していた夏休みの間、

ご主人さまは時代劇を好んで見ていたもんだから、

ついついヘンテコリンになるんだ。

時代が時代だったら・・・だって?

そんな事言わないでくれよ?!

もし時代が時代だったら、

ご主人さまは刀を振り回して斬ったり斬られたりで、

僕は大変な想いをするだけ

(路頭に迷う浪人ならぬ浪犬になっちゃうよぅ、ぐすん。)

なんだからね。

そうだよ、ご主人さまは刀を振り回しているだろうよ、

まさかお姫さまだったろう、

な?んて事は絶対にあり得ないんだもんね。

第一、落ちぶれた武家が今時どうするんだよ?

だって、ある時から侍を捨てて商人になったりしてる場合もあるんだし、

もう昔の事だし!

それに、人を沢山殺してきた先祖を持つだけ損な気がするよ。

人間も、動物も、植物も、宇宙人も(その中の一種族が地球人だしね!)

み〜んな仲良くいこうぜ!じゃあね! 

♪いつ〜も陽〜気〜な ウ〜イちゃ〜んだ〜〜い、っこらよっと。