2013年12月29日日曜日

2006年8月15日

さて、旅日記の続きを報告しなくちゃ。

さぁ〜てと、これから執筆作業が山程あるからね、

袖を捲り上げて頑張らないとね。

えっ、犬に袖なんか無いって?

そんなことはないよ、

僕なんか年がら年中毛皮のコートを着ているじゃないかい。

ふふ、自前の毛皮のコートだよ。

そうそう、毛皮で思い出したけれどもね、

人間も毛皮のコートを着たいのなら、

他人(動物)の毛皮を剥いだりしないで、

自分自身の皮膚でコートを造ればいいんだよね。

だってね、他人の命を奪ってコートにするなんて、身勝手なんだもん。

人のコートで自分を飾るのは、止めようね。

さて、旅日記の続きを報告しなくちゃ。

忙しいなぁ。

旅日記 2004年8月

真夏の夜の夢を見る。

更に暑い日が続くセミが鳴いているね〜。

ジリジリジリジリ〜、

焼けるように暑いからかな?

暑いし、蒸し暑いね〜。

僕はバイエルン生まれのミュンヘン育ちだから、

高温多湿は苦手かなぁ。

とことこ歩いていると、

あちこちで枯葉を手間をかけてわざわざ棒状にしておき乍らも、

それに火をつけて、口で息を吹き掛けて燃やしながら

灰にするのを趣味にしている人間を見かけるなぁ。

あれって、煙草と言うんだってね。

不思議だよ、造ってから又壊すんだね。

う〜ん、もしかしたら蚊避けに使っているのかも知れないね。

僕は、その煙があると嫌だな。

だって、何も咽に引っ掛かっていなくても咽せちゃうしね〜。

しかも毛皮にも臭いが付くんだよ。

犬の本能が「健康に悪い」と言っているし・・・。

若い人も結構あのポータブル蚊避けを灯しているね。

人間の雌も結構燃やしているんだ〜、へ〜。

お金で買って、燃やすんだね。

そして、燃えながら灰を落として短くなっていく煙草を、

誰が一番最後まで指の間に挿んで

熱いのを我慢できるかを競っているんだよね。

不思議なゲームだなぁ。

犬の鼻にはツンツンと臭うタールも入っているようだし。

あ、そう言えば道路の塗装、アスファルトだったよね、

あれもタールの固まりなんだよね。

そうか〜、人間の中にはタールが、

キスをしたい程好きで仕方がない人もいるから、

煙草にキスをするんだね。

えっ、息を吹き掛けているんじゃなくて、

煙吸い込むから煙草が燃えて短くなるんだって?

吸い込んでいるの?

蚊避けの煙りを〜???

増々解らなくなってくるよ。

肺はどうなるの・・・?

まわりにいる人が嫌でも吸い込んでしまう副流煙だって、

煙草のフィルターを通して吸う本人が吸い込む煙よりも

毒素成分が多いと判明しているからね・・・。

複雑な気持ちになる現象だね、この煙草って。

それにしても、短くなった煙草の火が

いくら熱くて我慢ができなくなったからと言って、

吸い殻を地面に捨ててしまうのは格好よくないなぁ。

地球は灰皿じゃないもんね。

ポータブルの灰皿を常に胸ポケットに忍ばせて、

必要な時にそれをサッと取り出して

煙草の灰や吸い殻をその中に納める人間も、時々だけど見かけるよ。

煙草ゲームをする人間が皆そうだと格好いいんだけどな?。

犬としては、歩くところに必ず落ちている吸い殻を発見する事は、

空き缶とか他のゴミの場合も同じだけど、

空しさを感じてしまうんだよ。

そうだな、

胸ポケットのないTシャツとかを着ているから

携帯灰皿という発明品を持ち歩けない人間もいるのかも知れないなぁ、

うん、だったら、紐で灰皿を頭の上に固定すれば、

とっさの雨にもいいし、

日除けにもなって、

大変よろしい事ではなかろうか。

ねぇ。帽子代わりにもなるよね。

ご主人様から以前聞いた話を思い出すな〜。

シュタードゥラー先生の最後から2番目の愛犬「カティー」が

癌で最後大変苦しんでいたので、

安楽死させてあげるしかなくなったある晩の事だった。

注射に駆け付けて下さった、

永年の主治獣医さんのドクター・マルクワルト先生に

「息子さんを愛していたら、そのヘビースモーキングを即刻お止めなさい」

とお話をされたんだって。

当時、息子さんは14才くらいで、

ドクターも人の親として「心配です」と

シュタードゥラー先生に一言漏らした事があったらしく、

先生が「貴方は我が身を以って、大人としての、

親としての生きざまを息子さんに示す事ができます。

体に悪いと知っていて何度も止めようと試みてきたが

失敗した禁煙を止める事で、

意志の強さ、潔さ、貴方に二言はない、と言う事を示すのです。

この禁煙は、つまり父としての息子への愛ですよ!

そんな父親の姿を見て、息子さんは貴方を尊敬するようになりますよ。

煙草は嗜好品だし、健康への害以外に何もないです。

ドクター、煙草はお止めなさい」と、

犬との別れ際の哀しみの中で、

懸命にドクターを諭すシュタードゥラー先生でした。

その姿にドクターは心を打たれたのでしょうか、

シュタードゥラー先生とご主人様が二人で数日後、

新たに家族に加わった子犬の「ドゥンヤ」を連れてドクターの診療所を訪れた時、

ドクター・マルクワルトはシュタードゥラー先生に

「煙草を止めました」と静かに微笑みながら語っておられた。

本当にドクターは一発で禁煙者になったのでした。

数年後のある日、

又ドゥンヤを連れて予防接種に訪れた折、

診察室に感じの良い若者がドクターのアシスタントをしていた。

それは、父の姿を見て育ち、父の跡を継ぐべく

獣医の道を選んだ息子さんだったのである。

息子さん、幸せだね、

格好いいお父さんをもって・・・。

風に吹かれて今日も旅ゆくウイちゃんであった・・・とさ。

ゴテッ! 

痛たたぁ・・・、

格好つけて上ばかり向いて歩いていたら、つまづいちゃった。

歩けば棒に当たる犬って、もしかして僕の事だったの?

僕の為に、僕が生まれるうんと昔から

僕専用の諺をもっている日本という国は、凄いねぇ。

2006年8月8日

ギャ?!

気が付いたら、もう2年も放浪の旅を続けていたじゃないか!

徒歩保・・・

じゃなくて、トホホ、

日本横断の島歩きならぬ「島流し」じゃないか・・・。

みんな〜、元気だったかい?

僕の事を心配して、

「もしや、もう死んでいるのではないだろうか?」

と聞いてくるファン(もちろん、僕!のファンだよね)

もいるぐらいで、ご主人様は一体何を考えていたのだろうか。

え?

可愛い子には旅をさせろ、だって〜う〜む、

まあ、僕の事を可愛いと思ってくれる読者がいるのは有り難いけどねぇ。

そうだね、あれから色々と体験してね、

たっくさんの事をお話したいな。

でも、どこから始めようかなぁ・・・、

そうだね、

順序よく振り返り乍ら僕の体験談をホームページにアップして行〜こうっと。

あれから僕は、またもや出張に行って来たんだよ。

犬の出張?

そうだね、ショートステイとも言うべきかな?

えへへ・・・、

帰りが今頃だから、ロングステイになってしまったんだけれども。

では、とりあえず、僕が無事に生きている事だけでもお知らせしたよ。

では、いざ、参ろうぞ!

旅日記 2004年7月

今日も元気だご主人さまが演奏旅行等に行っている間、

僕も出かけるから、

やっぱり格好つけて「出張」と言う事にしておこうよ、ね。

僕の気持ちがそれで満足するんだからさ、

犬の幸せの為なんだから、寛容に見守ってちょうだいね。

出張先はね、

ご主人様の音楽会によく聴きに来て下さるご一家の中心人物である

「ドビー君」というキング・チャールズシュヴァリエ

(???で良かったのかな?僕と違って凄く凝った犬種名だからね)・

スパニエル君が紹介してくれたファミリーのお家でね、

僕みたいに遊びに行く仲間は他にもいるけれど、

そこのファミリーのワンちゃん達がいてね・・・、

会えるのがいつも楽しみなんだ。

トイ・プードルで、クリーム色の毛並みが素敵な「ナポちゃん」、

茶色の毛艶がシックな「ケロちゃん」と

漆黒の毛が可憐な「マージちゃん」、

そしてシーズーの「リンちゃん」の優しい4匹が、

僕と遊んでくれるから、犬の人生も捨てたもんじゃないよね。

「ドビー君」には感謝しているよ、

ホント(彼が喜んで遊びに行くと聞いていたけど、その理由がよ〜くわかるなぁ)。

あぁ、思い出すな〜、メリーちゃんの事。

僕の初恋のガールフレンド。

片思いだけどね。

彼女と彼女の飼い主さん夫妻と知り合ったのは、

僕のご主人様が月刊誌「ショパン」の表紙に載って、

「ピアニストの一日」という大きな記事に載せてもらった時、

どうしてもワンちゃんとのツーショットがご主人様らしい、

と言う提案がツィーグラー協会の会員さんからあったから、

偶然中目黒のご近所に住んでいた

メリーちゃん一家と運命的な出逢いがあったのさ。

メリーちゃんと一緒にご主人さまはショパンの表紙でにっこり。

ああ、思い起こすと僕は、

メリーちゃんやメリーちゃん一家に大変お世話になったんだよね。

そう、僕はお世話になって、あちらは「大変」だったと思う。

だから大変お世話になったと言えるんだよね。

アハハ。

ご主人様が演奏旅行にいっている間は、

必ずメリーちゃんちに居候させてもらっていたんだから、

もの凄くお世話になったんだ。

感謝しかないよね。

でもね、ご主人さまが今の住いに引っ越してからは、

メリーちゃんと会う機会が・・・皆無。

ご主人さまに頼んで、又彼女に会いに行かなくては。

利発で優しくて、僕の憧れの的、

ラブラドール・レトリバーのメリーちゃん。

会いに行くまで僕を忘れないでいてね〜!

ウォ〜〜ゥ〜〜〜ォン!

はっ、ごめん、ごめん、

つい自分の恋の悩みになってしまって・・・

面目ないな、まったく。

大きな溜息をつきながら、男ウィリス、静かに涙をのむのであった。

ゴックン迷犬はつらいよな?・・・の、かなり格好いい(?)ウイちゃんより

2004年4月14日

旅も楽じゃないなぁ、

だって、僕の愛車はエンストしてしまうし、

徒歩で旅するのは、犬違いされて、

お役所に監禁されそうで危険だし・・・。

ハラハラしながら歩を進めるのは、疲れるねー。

だから、ちょっと一休み、一休み・・・、

と思ったウィリス様じゃった。

旅の途中で我が家に寄って、

ちゃっかりと、ご主人様の母親

(もう少しで「母犬」と言うところだったよ。

僕のご主人さまは人間だったよね。気の毒に。)

の膝の上で、僕は子犬に戻ってスヤスヤと・・・

夢心地だなぁ。

ん?

そう、僕が「お母さん」と呼んでいる人間だよ。

あ、違うよ、僕がそう呼んでいるからと言って、

日本みたいに飼い主イコール「お母さん/お父さん」という意味で

認識している訳ではないんだよ。

ドイツでは、飼い主は、

自分の事を「フラウレ=ご主人様ちゃん」(女性の場合)か

「ヘルレ=ご主人様ちゃん」(男性の場合)と呼んで

(南ドイツのバイエルン州で。北ドイツなら、

「フラウヒェン」か「ヘルヒェン」になるけどね)、

僕らに言い聞かせているから、

僕もご主人様の事を「フラウレ」として認識している。

そのフラウレの母親だから「お母さん」(そう呼ばれているから)だし、

祖母ならば「おばあちゃん」(やはり、そう呼ばれているから)、

と僕から見ても、そういう事になる。

ウフフッ、

僕の大好きなおばあちゃん。

ご主人さまが「おばあちゃんは?」と僕に問いかけると、

ロケット発射なみにおばあちゃんの部屋へとすっ飛んで行くんだ。

言っとくけど、その時の僕の急ぐ姿は、

とにかく可愛いんだからね。

そうだよ、僕ら犬は高度な自意識の持ち主なんだからね。

別にいいんじゃない?

そうそう、

日本へ来て、始め驚いたのは、

人間の飼い主達は、

僕らペット(何故か、そういう事になっているんだね、僕らは。

人間が僕らのペットなのにね、ウフフッ)の事を

よく「うちの子は」、とか「はい、女の子なんですよ」等と

説明するところだよね。

流行っているんだね、

それ。何だか気恥ずかしいよ。

ご主人さまは、ドイツでそうだった様に、

やっぱり僕の事を「ええ、雄なんですよ」と紹介してくれるよ。

大人、つまりは成犬なんだから、

子供か子犬扱いされるのもちょっとね。

勿論、僕らは人間達の家族の一員だから、わが子のように可愛く、

そして大切に思ってもらうのは当然の権利だけど、

とことんまで人間化されると、

僕らから見たら、

色々と理解し難い行動をする人間達と同じレベルに下げられるようで、

傍迷惑で、ちょっと考えものだなぁ。

そうだよ、一応、マナーとしては、

僕だってご主人様を立ててはいるけど、

犬は犬としてのプライドとか尊厳があるからね。

人間よりは優れているし、

まぁ、簡単に言うと、人間よりいい人間なんだし、ね。

怒った?

そうだよね、怒ってなんかいないよね。

だって、馬と鹿の間の子

(そうなんだよ?、人間にはそういう珍獣が多いんだってね?、

僕らの仲間内では専らの噂なんだよ)ならともかく、

まともな人間なら、

僕の言っている事は理解してくれると確信しているもんね。

エヘヘ。

僕が力説したい事はね、

とにかく僕ら動物(ペットだけに絞るつもりはないよ)

に対する愛情や愛護の実践は、

人間中心になり過ぎると良くない、という事なんだ。

ドイツと比べても、

人間とペアルックの「服」という馬具みたいなものを

身につけている仲間が、日本では多いなぁ。

僕は、馬具は首輪とリードだけでたくさんだ。

だって、僕らは人間と違って、

「服」なんか着なくても十分「美しい」んだよ。

生まれつきの毛皮を来ているからね。

裸でも綺麗なんだよね。

人間は可哀想に、そうはいかないんだね。

そりゃあ、人間からしてみれば、

僕らが「服」をまとっている姿は可愛いと思うよ。

でもね、ドイツの飼い主達の殆どが知っているのは、

僕らに服を着せると、

僕らが体温の調整をしにくくなる、という事なんだ。

だから、ドイツで服を着ている仲間は、

ハイ・ソサイエティーの年輩の女性が

片手に乗せているような小さい仲間達ぐらいかな。

他の飼い主達や僕らにとっては、

「あの犬は、おもちゃにされてて可哀想だ。

服がないと寒がる程退化してしまったのだろうか?」と、

ついつい苦笑いしてまうような光景なんだよ。

愛玩犬が玩具犬にされてしまった瞬間を見るような気がするんだ。

確かに「トーイ・プードル」の犬種名みたいに

「おもちゃのプードル」という表現が定着しているみたいだけれど、

小さいプードルであっても、

やはり犬としての人権ならぬ犬権があるしなぁ。

僕はね、格好悪いところを告白すると、

実は寒がりで、暑がりなんだ。

ミュンヘンの冬の散歩は、雪の中、凍りついた道の上、

そして日中の最高気温がマイナス11℃、という中だから、

僕は残念だけど2時間半位で震えがくるんだ。

逆に東京の夏は、もの凄い湿度に高温だから、

これも又苦手なんだよね。

そんなこんなで、ご主人さまは、何を血迷ったのか、

僕が今年の冬のある夜の事、

寒がって風をひきそうになったからと言って、

僕の為にチェック柄のマントみたいな馬具を買ってくれたんだよ。

本人も気恥ずかしいのか、

ゲラゲラ笑いながら、それを僕に着せてね、

「可愛いね」、だって。

笑われた後にいくら言われても、

僕は何だか罰として着せられているような気持ちになるだけだった。

足枷ならぬ身体枷かな。

化繊だったから暑くはなるし、

それに気付くとすぐにご主人さまは僕をマントから解放してくれて、

僕はそのまま大急ぎで寝床にジャ〜ンプ・イン。

又なにをされるか解らないこの御時世、

眉間にシワを寄せてご主人さまとマントの行方を見守る僕だった。

それ以来、マントのお仕置きは受けないで済んでいるけれどもね。

着せ替え人形じゃないんだから、

僕としては、マントは永遠に保管されたままであって欲しいな。

そうそう、東京は、家の中って高率の悪い暖房の仕方が広まっているから、

床近くはいつも寒々しいんだよね。

ドイツみたいに、日本でも見かける

オイル・ラジエーター型の電気ヒーターに形が似た、

作り付けの温水暖房器具が窓枠の下にある

セントラルヒーティング方式であったならば、

室内の空気がうまく混ざりあっていいんだけどね。

東京だと、足は冷たくて、頭が暑いから。

ご主人様だってそれに慣れていないからね。

えっ?

床暖房にすれば解決するって?

ウ〜ム。日本では今、東京でも床暖房が流行ってきているようだね。

ドイツでも30年位前に一時とても流行っていたから

「イン」だったんだよ(現在の日本では、「イケてる」と表現するらしい)。

でも、あれだと足がむくんでしまう事が判明して、

女性を中心に中高年層が困るようになったし、

ピアノやチェロ等の楽器を置いておくと、

ヒビ割れしてしまって台無しになるから良くないんだよ。

いやいや、床じゃなくて「楽器」がヒビ割れするんだよ。

どの主語に対する表現なのか、曖昧だったって?

アッハハハ、そうだね。

でもね、日本語って面白いんだよー。

関連があるべき主語とは

違う主語と結び付くような表現の仕方が多くて、

ニュース番組なんか、ついつい笑えそうになる事もあるんだよ。

例えばね、「逃げた白い乗用車は、そのまま・・・」と、

どの放送局のアナウンサーも読み上げるよ。

でもね、ドイツだと、それを聞いたり読んだりする人は皆、

「白い乗用車が逃げたあ?

逃げたのは、白い乗用車の運転手じゃないのかね?」

とツッコミを必ず入れるだろうね。

だって・・・

そう言った類いの、

一見ニヤっとしてしまうような誤解を生む表現集は、

本屋さんの「ユーモア」という棚に置いてあるからね。

おっとっと、ちょっと話が横へ滑ってしまったかな。

え?、

床暖房の事だよね。

あれだと、ピアノなんかもかなり音程が狂いだすんだよ。

下からボワ〜ァッと乾燥した暑い空気層が、

ピアノのお腹一面めがけてまとわり付いてくるから。

だから今では、音楽家は楽器の為に、

そして一般の人は健康上の理由から、

床暖房を住い選びの対象にあまりしないんだよ。

日本では、少し年月をずらして流行りだしているから、

遅れて何年か後に同じ事に気が付くと思うよ。

基本的に、僕らは犬として、野生児、健康児でありたいんだよね。

人間に抱き上げられないと

他の人間や犬と向かい合う事ができなかったり、

他の犬を見て怖がったり吠えかかったり、

散歩も自分で歩くより

だっこして貰いたがったりするような僕らではなくて、

野原を生き生きと駆け巡り、

小川を飛び越えたり、

川にじゃぶじゃぶ入って

美味しくて冷た〜い透明な水をガブガブと飲んで、

原っぱを掘り返してネズミを探したり、

野うさぎの後を気が狂ったように追い掛けて、

結局うなだれてトコトコ戻ってきたり、

という「勇姿」を知って欲しいんだよなぁ。

んま、ちょこっと泥だらけにはなるけどね〜。

ムフ。

それからね、

最高にいいのは、牛が残したま〜るくて平たい物体で、

いい香だからモー烈に惹かれていく特上のオーデコロンの事。

時期がくると、人間が牛たちの協力で作りあげた

堆肥が畑一面に撒かれるんだ。

そうすると、もう棚から牡丹餅状態!

そこに身を擦り付けて、

背中から頭や顔に「美容パック」

(今、ご主人さまが、僕をしらけた目つきで見ている・・・、ゾゾ〜ッ・・・)

を全身に施して、ご主人さまの悲鳴と反感をかい

(それでも、やるのが男だっ!)、

帰りの車の中では僕はルンルン、

彼女は何故か鼻を摘んで運転している・・・

シュタードゥラー先生の別荘があったバード・アイブリング近郊には、

夢のような散歩場所がいっぱいあってね。

3時間以上歩いても人と出逢う事なく、

小川を飛び越え、

白樺の肌が白銀の光を放つ落葉樹林の間を通り、

針葉樹が生い茂る小さな森の横を散策し

乍ら樹液のスパイシーな香を嗅いで、

好きな樹の根本に犬としてのサインをするのも忘れずに、

牧草地帯や野原に可愛く揺れる野の花達や山野草達に歓迎されながら、

「アズール色の乙女」という名の蜻蛉に

僕は目が回りそうになったりして。

興味深い匂いや森の動物達の足跡を追跡する僕は、

定期的にご主人様の足元へと戻って

再び野原に飛び込んで、

あらゆる鳥達の歌声が鳴り響くなか、

広くて真っ青な空に

ふわふわと浮かんでいる白い羊達を不思議に思うんだ。

天気が良ければ

南に広がるアルプスの山々は、

ドイツ側は勿論、

オーストリー側からスイス側のシルエットまで見せてくれたりする。

清清しくて幸せを感じるなぁ。

そして、畑や牧草地が牛肥オーデコロンで飾られている季節、

毎回、帰りは満足気な僕と息を止め気味な無口なご主人様、

というパターンで車の中は同じ情景だった。

でもね、僕は心優しい犬なんだから、

ご主人さまに

「いいじゃないか、昔の事を思えば?

ご主人様が小さかった頃は、後部座席を、

今の僕と同じオーデコロン状態の

バーニーズ・マウンテンドッグと分け合わなければならなかったんだからさぁ。

今は、僕は後ろで、ご主人さまは運転席だから、

ランクアップしたから良かったじゃないかい?」と諭すんだ。

その時、彼女の目は遠くを見つめ始め、

まるで過去を走馬灯のように思い出すんだ、

シュタードゥラー先生が好んで

何代も飼い続けていらしたスイス・ベルン地方の大型牧牛犬の事・・・、

その逞しく大きな身体に暖かい眼差し・・・、

そして僕の言葉に一理ある事に、やがては気付く・・・・

前に、彼女の脳裏には、

『大きな犬には身体の大きさに比例して多くの犬用オーデコロンが付いていた事』、

『車の中の匂いが壮絶だった事』、

『自分の服に付かないように、犬用座席カバーで犬との境を死守していた事』、

等々が鮮明に蘇り、

我に返った彼女は鼻息荒く一回深呼吸してから、

鼻を更に入念に摘むだけだった。

変なんだよ、

まるでシンクロナイズド・スイミングのつもりなのかな。

いい匂いなのにね〜、

人間は文化の程度が低いよね〜。

だって、ほら、人間達も泥パックとか、

海藻のアルゴパックとかを使って、

美容と健康に役立てているじゃないかい?

ご主人様も、肺の健康にいい匂いの

「入浴法」を思いっきり楽しんでしまえばいいのにねぇ。

美容にも効くかも知れないのに・・・。

まったくだよ。

なのに、犬の繊細で高貴な嗅覚にとって、

そもそも侮辱としか言い様がない

悪臭を放つ「いい香(?)の石鹸」とか、

「香水(?)」という物質を優先するんだよ、

人間達は。

あんなキツイ匂いじゃあ、いくら風下に立っても、

狙った獲物に感付かれてしまうのに。

賢くないなぁ。

自然と一体になろうとする僕らを見習わないのは、何故だろう?

僕のご主人様は、賢くないよなー。

さあて、ぼちぼち又発つとするかな・・・。

近いうちに、僕の「世の中の為になるひとりごと」の次回作の中で、

続きをご覧戴けるようにするね。

それまでは、待ち遠しくて眠れないだろうけど、

皆さん、そこをぐっと我慢して大人でいて下さいね

(犬のはアツイよ〜っ!

純心、純粋、忠実、誠実、それから、・・・

え? あ、そうでした、この辺にしておきます・・・)。

まったね〜!

バ〜イ!アウフ ヴィ〜ダセ〜ン! 

チャリ〜ン、ギーコ、ギーコ、・・・・。

だから「チャリンコ」って言うのかな?

ドイツだったら自転車の愛称は

「鋼(はがね)のロバ」なんだけど。格好いいでしょ

♪ ロバ〜のう〜ぅぅえ〜に い〜ぬコ〜ロ乗〜ぉせ〜て、

ぁと〜はネ〜コ乗〜せ、に〜わと〜り乗〜ぉれ〜ば、

ブレエ〜ェメ〜ンの〜ぉ お〜んが〜く隊、ぁこ〜りゃ

わ〜らあってく〜れろ〜ぉ、 ヘ〜ェラ〜ヘラッ

♪鋼のロバに跨がり、世界を叉に掛ける英雄、ウィちゃんより

2004年3月23日

旅烏のウイゴロウ・・・風に吹かれてどこへゆく・・・。

いやあ、ごめん、ごめん、ほんと、悪かった。

去年の11月中に僕のひとりごと第4弾を人間社会に突き付けたかった・・・、

じゃなくて、皆さんに恵んで差し上げよう、

いやはや、これは失礼、

え〜、ま、献上(大袈裟かい?胡麻擂り?・・・健康にいいのに・・・)

させて貰おう、な〜んて思っていたんだ。

こんなに永くご無沙汰するつもりじゃなかったんだよ。

ところが、犬としては色々と考えなければいけない事が起きたりして、

その現象を理解する為に、

まぁ、他でも同じなのか比べたかったし、

犬一匹(男一匹、なんて言うと、きっとクレームが来るから)

ウィリスは、愛車に跨がり旅に出た。

ハ〜レ〜と共に僕は風になり、・・・・

な〜あんてこたぁ、ありえねぇがな。

そう、いい所に目を付けてくれたなぁ、

僕の足の長さ

(えっ?短さ、が正しい表現だって?それを言っちゃぁおしめぇよぅ、な。)

じゃ、とてもじゃないが、ハーレーは無理だ。

うん。

自慢のジャンプ力で軽々と飛び乗れても、乗りこなせない。

足が届かない。

悲しい犬の容赦ない非運。

えっ?

そりゃぁ、足以外に前足だってハンドルまで届かないさな。

それに、ご主人様はバイクはあまり好きじゃないし。

そう、僕に何かあったら、てね。

事故の時、やっぱり2輪車のほうが車には負けるからね。

ハーレーに乗りたくても、

「そんなので、事故にでも巻き込まれて死んでしまう為に、

君を育てたんじゃないわよ」、

な〜んて反対されそうだなぁ。

とにかく、どのように旅に出たかは別として、

風を旅の道連れに、日本を少し周ることにした。

日本人についての調査と研究に乗り出した僕って、もしかして天災?

と言うか、天才だったりして。

そうだよ、

「日本人の価値観、習慣と文化の変化に伴う社会的現象の多様化」を

総合的に犬(検)証したいと思ったから。

その結果をこのタイトルの博士論文にまとめたリして。

今、何て言ったの?

犬のクセに可笑しいだって?

そうかも知れないね、

だって犬も唯の人間に過ぎないもんね。

日本へ来てから早4年が過ぎ、梅雨入り前には5年となる。

でも、まだ日本生活の中での大きな謎が数々あって、

僕の洞察能力を刺激するんだ。

「洞察してくれ〜、謎を解いてくれ〜」

と僕に呼び掛けてくるんだ。

僕は犬だから、鼻が効く。

ご主人さまは「君の自意識も大したものだわ」、

と誉めてくれているんだ。

クックック。

そうだよ、

彼女は「我が家の中では君が一番素晴らしい犬だものね」

と御墨付きまでくれるんだ。

それは皮肉だって?

いーや、これをユーモア、と言うんだよ。

さて、僕が目にしたり、耳にした事柄が、

果たして地域限定、或いは人物限定の現象なのかを、

旅をしながら探ってみよう。

日本は学校等での虐めが多いと思った。

ドイツだって充分あるよ。

でも、だからと言って社会現象になっていないよ。

人間の大人達が大騒ぎしたり、

社会問題として報道で取り上げられたり、

先生達や友達が干渉しないなんて事はないんだよ。

なんでだろう。

僕は、虐められて自ら命を絶ったり、

命を奪われたりする子が日本ではいる、とニュースで効くと、

心の中で男泣きをするんだよ。

どうしてそんな悲劇があり得るんだろう、って。

残酷さにブレーキがかからない人間がわからないよ。

ご主人様は、そういう時どうしていたっけな。

虐められるからって、

黙っていちゃダメなんじゃないかな、と僕は思うんだ。

でないと人間はエスカレートしやすい生き物だから、危ないんだ。

犬社会では、心無い人間の手によってダメにされていなければ、

どの犬も、喧嘩相手が降参する為に喉とお腹を見せたら、

血の気がおさまるのに。

人間の場合、どうも我慢していくだけではおさまらないようだね。

面と向かって意見を言っていく事が大事ではないかな。

僕のご主人さまだって、日本人って事だけで結構いい的だったんだよ。

でもね、日本で言う小学6年生のある日、

クラスの男の子とチャンバラ

(双方、長いプラスチック製の物差を使用、

何故なら、体力勝負では女の子にはハンディキャップがあるから、

両方がフェアーに戦える方法を取ったってわけだね。)

で決着をつけた事もあったんだって。

教室で、科目毎の先生が入れ代わる5分間でね。

結果は?

フフッ、小さい時から時代劇が好きだったご主人様の事だからね。

例の男の子は、その日からご主人様に普通に接するようになったんだ。

そう、別に負けたからって恨むでもなし、勿論言葉も交わしたんだ。

ある意味認めたんだろうな。

男の子の方がサッパリしているのかなぁ。

又、中学1年の時(ドイツでは7年生)、

休憩時間中、学校の廊下で隣クラスの女子生徒達に取り囲まれて

「てっめえ、音楽なんかしやがって!」

という感じでジリジリと喧嘩を売られたんだって。

多勢に無勢で勝ち目はゼロ、

とにかくニコニコ微笑んで対応するしかない、

とご主人様は思ったんだって。

何を言われても、後ろへ押し倒されそうになても、

相手の目をしっかりと見て、微笑み続ける。

そして黙っていないで、

何の真似かとしっかりと向かい合って微笑みを絶やさないように頑張る。

ボコボコにされるかも知れないけど、

それしか思い付かなかったんだって。

でもそれが、効いたんだね。

その内、彼女達の中で一番大人しそうだった子が

「変なノ。笑ってやがる。」

と顔を気持ち悪そうにしかめて、

それで他の子達もやる気が失せたのか、

捨て台詞を残して散っていったんだって。

ご主人様は後で膝がガクガクしてたとさ。

でも、ご主人様がピアノを弾いている事を

何故、彼女達が知っていたのか、

そして、それが何故彼女達にとって怒るような事だったのかは解らない、

とご主人様は言っていた。

体育の時間の時だけ

隣クラスの女子とご主人様のクラスの女子が

一緒に指導を受けていただけで、

授業中にお喋りする機会もなかったし、

原因が全く解らないままだったそうだ。

でもね、ラッキーな事に、

取り囲まれていた一部始終を、どうも美術の先生が見ていたようなんだ。

う〜ん、そりゃそうだよな、

なんでその時に助けに出てくれなかったのか、って

ご主人様も後で知って、思ったそうだけどね。

とにかく、あの出来事の次の美術の授業の時に、

その男の先生が、

隣クラスの女子の仲間でご主人様と同じクラスだった子

(7年生になる時に、フランス語を取りたいからって、

ご主人様が理数系コースを選んだ折に

クラスの新編成で、その子だけが仲間と離れて

ご主人様と同じクラスになったって訳さ。

取り囲みグループの中で一番大人しそうだった子、

そうなんだ、「笑ってやがる」と、

ご主人様の事を気味悪がっていたあの子だよ。)

を自分のテーブルへと呼び出して、

「昨日のあの様は、いったいなんのつもりか」と、

何とご主人様の目の前で、クラスの前でお灸を据えたんだって。

正義って、少しは世の中にあるのかもね。

ご主人様は、びっくりさ。

その子は、と言うと、早々に進学コースを変更して、

仲間のいる隣クラスへと変わっていったようだ。

それからは、ご主人様に迫る事はなかったけど、

ギムナージウム(中学と高校が一つで、

将来大学を必須とする職業を目指す為の学校)の

廊下や階段ですれ違う度に、

毒を吐きつけられたようだけどね。

女の子の方がサッパリする事ができないのかなぁ。

女子ばかりの学校だったら本当に恐いだろうね、と

ご主人様は思うようになったとさ。

彼女がドイツで育ったお陰で、

多少の虐めに対しての抗体は出来たんじゃないのかな。

あちらでは、学校に

意地悪な連中(頭が本当の意味で悪いんだと思うよ)がいても、

その人間達によって同じ種族が尊い命を奪われる事件って、

聞いた記憶がないんだよ。

そして、例え虐められても、

「イジメにあってる」という意識にならないし、

学校へ行くのが嫌で恐くなるという風にならないのは、

一体何故なのだろうか?

喧嘩は解決にならないから無意味だけれども、

もしかしたら、

対処して前へ踏み出そうという

努力?強さ?習慣?考え?があるからなのだろうか。

ご主人様は、すぐには言わなかったけど、

後日、シュタードゥラー先生に学校での出来事を打ちあけて、

悔し涙を流したんだそうだ。

その時、先生はドイツの親として、

話をよく聞いて下さって、

最後に「人類の馬鹿のバクテリアに効く薬は未だ発明されていないからね・・・」

と一言。

そこで、ご主人様はハッとしたんだって。

もし、親代わりの先生がそこで

「まあ、可哀想に?、そんなに虐められて!酷い目に遭って!」

と仰っていたらば、

僕のご主人さまは、きっと

「自分は虐められているんだわ、自分は嫌われているんだわ。

被害者なの、傷付けられたの、ああ、自分は何て可哀想なのか」と、

一方的に相手の攻撃の矢が、

わざわざ心に刺さるような受け身の姿勢になっていただろうけど、

先生の一言で、馬鹿な相手が哀れに見えたのではないかな。

日本に住む人間も、そこから少し真似できる事は、ないのだろうか?

悲劇が起きなくて済むようになるのではないだろうか?

と、僕は犬なんだけど、そう思うんだ。

一人、一人が工夫すれば、内面的に強くなる事に繋がると思うんだ。

勿論、昔は、芯が強い人が日本でももっと多かったよ。

うん、それは分かっているし、実感しているよ。

だって、70代、80代以上の方達を見れば、よく解るもんね。

こういった健康にいい体験は、

ご主人様にとって、信念を貫く事に繋がる貴重な事だったんだ。

そう、信念を貫く、守り通す事は、

例え自分が世界で一人ぼっちになって、

大勢に後ろ指を差されても恐くない、

という勇敢さを必要とするからね。

以前の僕の「ひとりごと」でも論じた

「勇気」と「勇敢さ」との違い、あれを思い出してみてね。

大勢の人が自分とは違う意見だから、

自分もそれに合せて恙無く過ごす、という方が楽だろうけど、

自分を騙して押し殺す事になるね。

そうだよ、ご主人様にとっては、

アンナ・シュタードゥラー先生から受け継いだ

「ベアタ・ツィーグラーの魂の耳で聴き、奏でる自然なピアノ奏法」

を正しく守り、正しく実践し、正しく伝えていく事が信念なのさ。

その信念を貫く為にはそうとうな覚悟が要るからね。

ミュンヘンの親友達は、

僕のご主人様を「ドイツ人」と見てくれていても、

やっぱり他の人にとっては彼女の見た目はドイツ人でもないし、

ヨーロッパ人でも白人でもなくて、

どう転ぼうと外国人にしか見えないんだよね。

アジア人。

黄色人種。

自分自身をドイツ人に感じていても、外見が邪魔をする。

そういう中で大きくなってきたからね、彼女は。

だからなのか解らないけど、

外見に関係するファッションとか髪型の流行廃りに、

彼女は確かにあまり流されないんだけど。

流されないと言うべきか、無関心とも言えるのか、

犬の僕には論じる興味がない話だけどさ。

ま、いろいろと経験していく内に、

言葉で相手の攻撃をかわす、という西洋的な対処方を

少しづつ身に付けていくわけなんだよな。

そう、攻撃をかわす、という所がポイントなんだ。

まともに受けてたら、又攻撃を仕掛け返すだけの

野暮な堂々回りになるだろう?

だから、ほら、日本でだって昔から言うでしょう、

「のれんに腕押し」って。

今の日本人は忘れかけているようだけどね。

例えばだけど、

廊下(会社、学校、その他の建物)や道で

すれ違いざまに卑劣としか言い様がない言葉の暴力が飛んできたら、

カァーっとなってガーガー言い返すんじゃなくてネ、

「あ〜ら、今日はお具合が悪いんですか?」

と静かに問いかける。

相手は頭に血が昇って

茹でダコ(茹でた後の「海老赤色」、とドイツ語では言うんだよ)

色に顔は染まり、恥をかいたと

内心悔しがりながらスタコラサッサと立ち去るか、

もっといいのは、

優しく問いかけたらそのままこちらが立ち去り、

変な相手をその場に取り残せばいいんだよ。

相手にしない、

そして究極の皮肉を込めた親切な同情を示したまでだからね。

相手から言葉の槍が飛んできたら、

それは自分に対する個人的攻撃ではなくて、

その相手が今、別の事で悩みを抱えていて苦しいから吠えているのだ、

一種の発作を起こしていて自分じゃなくなっているんだ、

と「気の毒」に思う、という事なんだよ。

そりゃそうだよ、

そう思う事は簡単ではないよな。

少しづつトレーニングしていく事、それだけ。

そういう人生のトレーニングが

結果的には本当の「ユーモア」に繋がるんだよ。

僕のご主人様が、生きている間にそこに行きつけるかどうか、

かなり不明だな。

本当のユーモアってね、

「ユーモア。それは、それでも笑う事」とは、

ドイツ人は良く言ったもんだね。

日本人の多くは、すぐ「絶交」だの、「無礼討ち」だの、

「逆恨み」だの「無視」だの「村八分」って、

いっそがしいこっちゃ、全くのう。

ハァ〜。

ご主人様の夢の一つは、極端な話、こりゃホントにひどいやっ、

て言えるような目に遭っても、

「それでも笑う事」ができるような人間になる事だそうだよ。

やれやれ、そんなの、寿命が千年あっても、彼女には無理だと思うけど〜。

志しは嵩く持て、と僕は慰めてあげるしかないよね。

さ、まだまだ検証する事柄がいっぱい残っているから、

謎解きの旅を続けるね。

そして、折々に、僕のすんばらし〜い「ひとりごと」を

旅先から皆さんに送るからね?。

そうだよ、楽しみにしていてね!

ご主人様が、僕がいないと寂しいんじゃないかって?

へへっ、そいつぁーどーも、心配してくれてありがとさんです。

僕が思うには、彼女も大人にならなきゃだめなんだから、

たまに僕が出掛けていても

「せーぜー、しっかりやっとくれー 」が、

僕の教育方針・・・だったりして。

そうそう、

「究極のユーモアを身に付け、

自らの事を楽しく笑ってのける事が出来た時、

大人になったと言えようぞ!」というのが、

僕がご主人様に贈るアドヴァイスだね。

ハッハッハッ。

では! 

ブロロロロロロオォーン・・・・ブロッ、ブブ、プスン。

(こりゃまいった、エンストかい?)エヘヘ、

取りあえず彷徨(さまよ)い続ける事にしたウイちゃんより。

2003年10月2日

ヤッホー、皆んな〜、元気か〜い?

先月28日の音楽会、

そう、僕が聴きに行きたかった例の室内楽のマチネ、

素敵だったんだってね。

いいなぁ、ホールに入れる人間は。

2本足でしか走れない上、4本とも足を使ったとしても、

犬さまには「水すら手渡す事ができない」のに、

人間には入場が許されていて

犬は音楽会を聴きに行く事が通らないんだ。

今の社会は文化がないよね?。

なぬ?

今の発言、気になるのかな?

でも、僕は映画館に連れていって貰ったとしても、

静かにしていられる程の文化犬なんだからね。

レストランだって、ドイツ時代の事だけど、

お料理のいい匂いにも負けず、

テーブルの下でお行儀良くしてたもん、

ト〜ゼンの常識。

そんな事を言っているんじゃないって?

え?

今の表現の意味?

ああ、これはね、ドイツで使う言い回しだよ。

「誰々に水すら手渡す事ができない」、というのは、

例えば犬と人間との駆けっこでは、

人間は足が遅すぎて犬には完敗するから、

人間は素晴らしい能力を持つ犬に

「水すら手渡す事ができない」、と言いたかったんだ。

水とは飲み水の事だけど、

そのコップ一杯の飲み水を手渡す事すら

許されない身分か立場だ、と言う事。

日本では「誰々の足元にも寄れない」、という諺があるでしょ?

グッフッフ。

話を戻すけど、

28日に新ブダペスト弦楽四重奏団の演奏会があったでしょ?

素敵な音楽を聴かせてくれたんだって!

僕のご主人さまは、彼等と後半で協演できて、

本当に憎い程の幸せ者だよな。

ご主人さま曰く、とってもとっても幸せな一時だったって。

いつまでも余韻が残る、幸せ一杯の室内楽の一時。

良かったね?、って応えたんだけど、

僕は内心うらやましくて・・・。

また言うけど、音楽会が聴ける盲導犬達がうらやましいー!

そう。正直な僕である。

今、ご主人さまが取り組んでいるのは、「ショパンの夕べ」なんだ。

10月24日の大阪でのリサイタルがかわきりで、

11月1日は天草、

11月14日は名古屋、

11月28日は十日町

(元祖雪まつりと着物で有名、それから僕の大好きな雪が多い!)、

12月6日は東京で行われるんだよ。

曲目は?

楽しみにしててね、素敵なプログラムなんだから。

あ、そうだ、

僕の・・・あ、いや、失礼、

ご主人さまのこのホームページに演奏会スケジュールが載ってるから、

確かそこに書いてあると思うけど。

マズルカや、幻想曲、色々な遺作のノクターン、そして3番のソナタね。

ご主人さまにね、インタビューをして来たから

(僕、なかなかのやり手でしょう?

人間社会の会社だったら、とっくに管理職?だったりして。

うん?そりゃあ、僕にとってはどうでもいい事だけど。

唯ね、犬である以上、自意識が発達しているから、

多少は誉められたい、という願望が僕の犬心を燻るので・・・、という事)

載せるよ

ウ「この度は〜、お忙しいところ、お時間を作って戴きまして〜・・・」

由「なに畏まっているの?おかしいわね。いつもの感じでいいんじゃないの?」

ウ「あはははっ・・・ちょっと格好つけちゃったかな。
  ほんじゃあ、膝の上にジャ〜ンプっ、とかでも・・・?」

由「インタビューなんでしょう?少しは真面目であって欲しいわ。」

ウ「ンニャーッハハハッ、いやはや、ご尤も。拙者とした事が・・・
  面目次第もござらん。いざ、お手合わせ願いたく参上つかまつり候・・・。」

由「・・・・・」

ウ「ゴホン、・・・(油汗)。え?っと、今回の曲目を選んだ訳は?」

由「そうね、ショパンがとても弾きたくなったの。」

ウ「いつもそんな感じで選曲をするのかい?」

由「音楽会の主催者側から曲のリクエスト等がなければ、
  先ずは自由に自分の心に聞いてみるの。
  そうすると必ず、弾きたい、と思う曲があるのよ。
  その曲を、プログラムのどの辺に持ってくるかを考えて、
  後は前後にどういう曲が合うか、考えたり、
  色々な曲を引っ張り出して弾いてみたり。
  そうこうしている内に、あ、あれも弾きたい、これも弾きたい、
  とはっきりしてくるのね。
  曲の分数の事もあるけれども、
  各々の曲がどの順序でマッチするか、とか、
  調どうしが合うかどうか。
  それから演奏される曲の景色のような流れ、
  曲の性格や内容、何をメインとして後半に入れるか、
  別々の作曲家同士なら、
  時代的な流れがハーモニーしているか不自然ではないか。
  例えばソナタみたいな重心のある曲なら、
  同じソナタ形式の曲を二曲も入れると重くなるし、
  お客様にとっても面白くないから避けて、
  聴衆の方々にも楽しんで戴けるよう、
  違う形式や『物語』の曲を組んでいくのよ。
  時代的な流れは大切にするけれども、
  時には現代物を休憩の前に弾いて、
  馴染みにくい音楽の後に
  聴衆が休憩中に集中力をリフレッシュできるようにするので、
  例えばバロック時代の曲の次にきたクラッシック
  (欧米ではクラシックの中のクラシック時代の
  ハイドン、モーツァルトやベートーヴェンをクラシックと呼ぶ)
  にモダンが続き、休憩の後にメインであれば
  ロマン派や印象派の曲が置かれる事もあるのよ。」

ウ「へぇ〜、色んな事に注意しながら選曲するんだね」

由「そうなの。シュタードゥラー先生が
  毎回、毎回私と一緒にプログラムを考案して下さり乍ら、
  長年の中で教えて下さった、
  ヨーロッパの伝統的なプログラムの作り方なのよ。
  リサイタルの前半と後半、
  そして全体にも時間的なバランスもあるのよ。
  日本では少々短かめのプログラムでの演奏会が多いようで、
  私は良く『長過ぎないように!』と言われたりしたわ。
  あちらでは特別長い訳でもないのだけれども、
  こちらではどうしても少しは長くなりがちで。」

ウ「そうなんだ〜、日本とヨーロッパでは違いがあるんだね。」

由「ええ。それ以外にも、一般的に『ポピュラー』な曲と
  呼ばれている作品の『層』がかなり違うのよ。
  日本でポピュラーな曲として知られているものは
  ヨーロッパでも勿論ポピュラーだけれども、
  ヨーロッパで言うポピュラーな曲の数は、
  もっともっと沢山あって・・・。」

ウ「そんなに沢山?」

由「そう、知られている曲の幅がとても広くて、
  プログラムを組む時、もっと楽しいのよ。
  シュタードゥラー先生がいつも仰ってらしたのよ、
  『限られた数の曲だけで、
  まるでアタッシュケースに限られた品揃えの商品を入れて、
  ドアからドアへと行商してまわるような
  ピアニストになってはいけません。
  ピアノという楽器には一番沢山のレパートリーが存在します。
  最低限のレパートリー、
  つまり当然のスタンダード・レパートリーを
  できるだけ若い内に身に付け、
  更に生涯かけて広げていくように』と。」

ウ「スタンダード・レパートリーって?」

由「かなり膨大なレパートリーの事よ。
  でもそれが『スタンダード』、
  つまり最低限の常識、という事になるの。」

ウ「ふぅ〜ん。」

由「日本ではね、ポピュラーと呼ばれている
  曲の幅が本当に狭いものだから、
  主催者側が『なるべくポピュラーなものを』という
  リクエストを出してくると、選曲の度に悩んでしまうの。
  同じ曲ばかりが順繰りに演奏されるのも避けたいし、
  聴衆の方々には他にも
  多くの素晴らしい作品がある事を知って戴きたいしね。
  ヨーロッパのコンサートでは、
  色とりどりの曲を聴く機会があるのに対し、
  日本では何だか同じような曲ばかりよく聴かれるので、残念だわ。
  聴衆の方々も、知っている曲だけではなくて、
  同じ作曲家の別の作品や、同時代の別の作曲家、
  或いは別の時代の曲を知りたい、という熱き願いを持ってこそ、
  いわゆる『つう』と呼ばれるようになるのよね。」

ウ「成程、『通』かぁ。」

由「ショパンに話を戻すわね。」

ウ「うん!(尻尾を振る僕。やっとテーマに戻れそうだ・・・。)」

由「シュタードゥラー先生は、ショパンの音楽を教えて下さる時に、
  彼の曲の中に繰り返し表れてくる
  心の波に注目するよう導いて下さったのよ。
  今回も大阪・名古屋・東京にて行われる、
  日本ベアタ・ツィーグラー協会主催の
  秋のリサイタル・シリーズの曲目が
  オール・ショパンになったのは、
  どうしてもショパンのソナタの第3番が弾きたい、
  という強い願いがきっかけとなったのよね。
  ピアノで色々な曲を弾き乍ら、
  その都度「ピン」とくる曲を選んでプログラムを練っていたら、
  普通は、作曲家同士の時代の流れを大事にしたり、
  曲も各々の調が互いに合うかとか、
  性格や重み、そして作品の形式等でのバランスはどうなのか、
  等と考慮した上で曲目を組んでいくのに、
  何時の間にかショパンの作品ばかりになっていたのね。」

ウ「不思議だね。」

由「ええ。特にショパン没後何年というような縁りの年でもないのに、
  とにかくショパンを弾きたい、という想いが私を離さなかったので、
  気持ちに素直に従う事にしたの。
  詩情溢れるマズルカの中から、作品17を選び、
  その後に、静かに始まり乍らも「歌い」が
  膨らんでいくような幻想曲を続けさせ、
  まるで「音楽の景色」みたいになるよう、
  幻想曲の後に永遠の静けさの中に
  切なさと優しさも流れるノクターンを持ってきたの。
  よく見ると、意識せずに選んだ3つのノクターンは、
  すべて遺作のものだったの。」

ウ「偶然そうなったのかい?
  それともシュタードゥラー先生の事が
  『遺作』が集まった事に影響したのかなぁ?」

由「そうねえ。6月21日に81歳で亡くなられてから
  組んだプログラムだから、
  そうではない、と言い切れないわね。
  無意識の内にそうしたのかしらね。」

ウ「きっとそうだよ。」

由「休憩の後にプログラムのメインとして演奏するソナタ第3番も、
  なにかとシュタードゥラー先生との
  レッスンの思い出で一杯の作品だしね・・・。」

ウ「ほらね。でも、これが又、ショパンになったというのも面白いと思うけど。」

由「ショパンの音楽に感じる魅力とは、
  やはり彼のどの作品にも出てくる『運命に対する魂の叫び』なの。
  昔の時代、結核になってしまえば、先ず治る確立は非常に少いし、
  死ぬ事を待つしかなかったのよ。
  ショパンも、日一日、一日と病に屈していく
  自分の身体とは逆に、
  まだまだ自分の魂の中で響いている沢山の音楽を誕生させたい、
  という篤い願い、使命感に燃えていた筈よ。
  日によっては、作曲する為に
  起き上がる事すら出来ない事もあったりと、
  どれ程じれったい想いであったか。」

ウ「想えばそうだよね〜。
  僕がもし、大好きなボール遊びが出来なくなったら、
  と想像するだけでゾッとするよ。・・・・・・
  ギクッ・・・
  (ご主人さまの厳しい視線が僕の首の後ろをがっちりと掴む)。」

由「ま、ウイちゃんの次元からすると、その気持ちも解らないでもないけど。」

ウ「オッホッホ、優しいんだね〜 (内心、冷や汗をかいた)。」

由「どの曲にも出てくる、ショパンの『運命に対する魂の叫び」』は、
  自分の作曲活動の邪魔をする病気、
  運命に対する魂心の抵抗が大波の如く盛り上がり、
  でもやがて深い溜息として、
  まるで力尽きていくように絶望感が呼び寄せる
  静けさにと流れ込んでいくの。
  その静かなる響の中から美しい歌声として旋律が浮かび上がるけれども、
  その歌いの悲しさの中には、
  どん底の悲しみを味わった者のみが得る事のできる
  温かさや思いやりが輝いているのよ。」

ウ「なんか、心の世界の『月の光』を連想するなぁ。」

由「残された時間は一年なのか、
  一ヶ月か或いは一日かは、ショパンには解らない。
  でも、与えられた一瞬、一瞬を大切に、
  彼は音楽人生に命を懸けていきく。
  一瞬を、まだ与えられている、という事に気付いた時、
  暗闇の絶望と悲しみを一筋の、『希望』という名の光が照らして、
  ショパンの曲の中から溢れ出てくるのよ。」

ウ「ハーァ、タマシイが震えるぜ・・・。」

由「その希望は、大きな歓びとなって、
  『死を目前にした者の歓び』が、
  作品の中で大きなエネルギーの盛り上がりとして表われるの。
  どんなに悲しいショパンの曲も、最後は大きな歓びに行き着く。
  それが盛り上がりのフィナーレであろうと、
  静けさの中に溶け込んでいくような終わり方であっても、
  必ず『歓び』の次元でどの曲も終わるのよ。」

ウ「そうかー、それを考えた事がなかったなぁ!」

由「私が通っていたドイツの学校での文学の時間で、
  ある日『勇気』と『勇敢さ』についての話し合いがあったの。
  突き詰めてみると、『勇気』とは、
  その人が自分のしている事が例え無謀である故に愚かであっても、
  それに気付くことなく、『勇気』ある行動をし、
  『勇敢さ』とは、逆に自分がどれだけ危険な状況に置かれているかを認識し、
  恐怖と不安で膝がガクガク震えているとしても、
  何かの為、誰かの為に、あえて行動に移していく人の事を差す、
  という事がはっきりしてきたの。」

ウ「へぇー、そういう風にこの二つの言葉を使いわけるべきなんだなぁ。」

由「そういう意味で、私にとって、
  ショパンは本当に『勇敢』な人、
  『勇敢』な音楽家なのよ。本当の「『英雄』なのかも知れないわね。」

ウ「・・・・、・・・・。ウゥ、・・・」

由「あら、泣けてきちゃったの?」

ウ「うん。」

由「えらいわね。純粋だし。」

ウ「ご主人さまにとって、僕以外に「ヒーロー」と思える存在がいたなんて、
  初めて知ったよ。(項垂れる僕)」

由「やだわ、気取っちゃって!
  ウイちゃんはウイちゃんでしょ?
  自分を人と比べて嬉しい・悲しいを決めてはダメよ。」

ウ「そうか・・・(気を取り直して)・・・。
  やっぱり、先生の事とショパンの事とが色々な面で繋がったんだね。」

由「そうでしょうね。
  今回のリサイタルがショパンの夕べになったのは、
  ショパンの音楽の中で、
  悲しみが歓びへと生まれ変っていく素晴らしさを、
  シュタードゥラー先生の死によって
  悲嘆にくれた私自身の魂が強く求めていたからなのかしらね。」

ウ「ウ〜ム、なるほどね?。どんな演奏になるか、楽しみだなあ。
  大阪・名古屋・東京以外では聴けないプログラムなのかい?」

由「そうでもないわよ、
  大阪と名古屋の間に熊本県・天草のサンタ・マリア館で
  11月1日に弾かせて頂けるし、
  名古屋と東京の間で
  11月28日に新潟県の十日町市民会館でも
  同じプログラムが予定されているのよ。」

ウ「ヘェ〜、いいねえ。僕は雪が好きだからな、
  十日町は11月には雪が積もっているかな?。」

由「さあ、どうなのかしらね。私も雪が好きだから・・・。
  又ウイちゃんと一緒に深い雪の中を
  吹雪きに逆らって散歩でもしてみたいわね。
  久しぶりにね。
  でも演奏旅行へは連れて行ってあげられないわよ。」

ウ「分かってる。人生、そう甘くはない。」

由「オー、えらいわね。」

ウ「それはそうと、最後に一つ聞いていいかな?」

由「なに?」

ウ「ご主人さまは、何故インタビューの時、言葉使いまでお淑やかになるの?」

由「ガ〜ッハハハハッ!バレタカ〜!ギャハハハハッ、やーぁ、すんまへん。」

ウ「(小声で)これだよ、これ。
  だから誰も彼女に近寄らないんだよな。
  これじゃあ永遠にご主人さまにご主人さまができないだろなぁ。
  可哀想だけど、しょうがないよな。
  芝居でもいいから、モーちっと可愛くなんないもんかな?」

由「・・・。何か申したか?」

ウ「ウッ、・・・、イエ、その、別に何も?」

由「偽りを申すでないぞ。」

ウ「はっ、某の言上に相違ございませぬ。」

由「・・・。事と次第によっては容赦せぬと心得よ。」

ウ「ハハー。肝に命じておりまする。」

由「なんちゃって。」

ウ「・・・ドタッ・・・(とひっくり返る僕であった)」

皆んなー、僕の日頃の苦労を少し垣間見る事ができたしょう?

子供の頃から、日本に滞在していた夏休みの間、

ご主人さまは時代劇を好んで見ていたもんだから、

ついついヘンテコリンになるんだ。

時代が時代だったら・・・だって?

そんな事言わないでくれよ?!

もし時代が時代だったら、

ご主人さまは刀を振り回して斬ったり斬られたりで、

僕は大変な想いをするだけ

(路頭に迷う浪人ならぬ浪犬になっちゃうよぅ、ぐすん。)

なんだからね。

そうだよ、ご主人さまは刀を振り回しているだろうよ、

まさかお姫さまだったろう、

な?んて事は絶対にあり得ないんだもんね。

第一、落ちぶれた武家が今時どうするんだよ?

だって、ある時から侍を捨てて商人になったりしてる場合もあるんだし、

もう昔の事だし!

それに、人を沢山殺してきた先祖を持つだけ損な気がするよ。

人間も、動物も、植物も、宇宙人も(その中の一種族が地球人だしね!)

み〜んな仲良くいこうぜ!じゃあね! 

♪いつ〜も陽〜気〜な ウ〜イちゃ〜んだ〜〜い、っこらよっと。

2003年9月21日

ぷファ?っ、あ゛?、疲れた・・・。

久しぶりでござんす。

色々あって、いっそがしくて、

皆さんがきっと夜も眠れずに待っていてくれる

僕の文才溢れる「ひとりごと」の第2弾が書けなくて、本当にごめんね。

どうやら寝不足で調子狂っちゃった人も中にはいる、と風の便りで聞いたよ。

なんちゃって。

僕ね、色々あってね。

僕が、と言うより、ご主人さまの世話で、僕はモー大変だったんだから。

実はね、ご主人さまのピアノの恩師の

アンナ・シュタードゥラー先生が6月21日に亡くなったんだ。

81歳でね。

ご主人さまったら、最初は何だか変な感じだったよ。

端で見ていて、我慢している、と言うか。

思いっきり泣いてしまった方がいいのにさ、気丈に振る舞っていてね。

そうかと思えば、どうでもいいような内容の話の時に、

急にポロポロと涙を零したりで。

こりゃあ、おいらの出番だい!と張り切って

ご主人様の面倒を見たのさ。

まあ、ベビー・シッターみたいな事をして励ましたんだよ。

だって、ご主人さまが頼れる力強い肩と言えば、

僕じゃないかい?

えっ、今「そのほっそい肩で?」なんてヤジ飛ばしたのは誰だい?

人が、いや、犬が折角いい所見せようとしてるのに・・・。

いいさ、僕は僕だから。

僕が、このコーナーの「ひとりごと」第1号を書いた7月半ばは、

ご主人さまはまだ毎日明け方まで眠れなかったようで、

後は努めて普段通りに振る舞っていたけれども、

それからが大変だった。僕がね。

だって、本当はご主人さまが僕のお世話をする筈なのに、

その可愛い僕が世話をしてやったのさ。

世の中あべこべだよね。

江戸っ子は一心太助の如く、

「てえへんだっ、てえへんだ〜い!」と叫び乍ら、

まるでマンホールにストーンと落ちちゃったみたいに

落ち込んでいたご主人さまが明るくなるように励まし続けたのさ。

どうやって?

マッカセナサ〜イ、

僕のチャーミングなシルエット

(胴長って言わないでね、タイミングがまずいから。

そういう細かい事を言っちゃあ、おしめえよぅ・・・)と

円らな瞳(まったくもう!円らだよ、潰れてる瞳じゃないよ!)で

先ずはご主人さまのハートに総攻撃を仕掛けるんだ。

一度みつめたら二度と目を反らす事のできない

僕自慢の100万馬力(そうだよっ、馬力だよっ。

だって100万ボルトは古い、古い。

僕は電気ウナギじゃないし。

ねえ、お願いだからさ、馬力って表現している健気な僕を思いやって、

「ば・カ」と読まないで、「ば・りき」にしといてくんろ・・・)

の瞳の威力でご主人さまの悲しさをなぎ倒し、

一度なめ始めたら1時間でもなめ続ける

僕の真心でご主人さまの前足、あ、手・・・ね、

そう、手を丹念に撫でてあげるんだ。

そうだよ、僕らは手で撫でないんだよ、舌で撫でるんだからね。

そうするとね、僕がいる事にやっと気が付くのか、目を見てくれるんだ。

いつもだったらジャレ返してくる筈なんだけど、

そうとう元気がなかったからな?。

最終攻撃は、ひっくり返ってお腹丸出しポーズで、

お腹を撫でて貰うおねだりをする。

恥ずかしくないかって?

まさか。僕らは犬なんだ。純粋なんだからね。

人間みたいに、荒んでばっちくなっちゃった想像力なんて、

まるっきりないんだよ。エヘヘッ。

親を亡くすと、誰でも暫くは心が萎れるんだね。

シュタードゥラー先生は、ご主人さまにとって、

恩師だけでなく、もう一人の母親でもあったからね。

僕なんか、子犬の頃に別れを告げた母犬が、

今どうしているのか、

或いは死んじゃっても、それを知る由もないんだよな。

だから、ご主人さまは、まだラッキーなんだなぁ。

そんなこんなで、もの凄く多忙な夏を過ごしたウィリスさまじゃった。

わかるでしょ、我ながら疲れちゃったのさ。

でもヘトヘトのままじゃあ、僕じゃない。

今では少しづつ元気を取り戻したご主人さまをコキ使って、

僕がエサより大好きなボール遊びの相手をやらせているんだ。

子犬の頃から愛用し続けている小さめのボール。

人間達は、それと同じ種類のボールを、大き目のハエ叩きで、

何故か水のない空中に仕掛けている網の上を飛ぶように、

叩き返し合っているんだ。

そして沢山の人間が、ボールに対する暴力の連続を横から眺めていて、

ボールが飛ぶ方向に併せて首を右から左、左から右へと、

飽きることなく回し続けるんだよ。

たぶん、その人達がうまく首の体操ができるように、

網の近くの人がボールを飛ばして合図しているんではないか、と僕は思う。

こういう時の人間は、なんとも真面目だから感心するなぁ。

僕、観察力、鋭いでしょ?

ご主人さまもすっかり元の変てこりんな、

だからこそ僕にぴったりなご主人さまに戻った。

先生のお位牌を作るんだから、と嬉しそうに話してもくれた。

先週は、3日間続けて日中何処かへ出掛けていた。

帰ってくると、嫌にご機嫌なご主人さまであった。

心配だ、もしや、誰かとデート???

あの、ご主人さまが?まっさかー。

だって、日本じゃ絶対に誰も欲しがらないよな、

あんな、え?、あ?、いえ、その、(モジモジ・・・)

勿論、「あんな 素晴らしい・」と言うつもりだったんだよ。

ねぇ、本当だよ、わー、ご主人さまに言わないで、お願い!

あとが恐いから・・・

後生だから!

ムッフフ。

僕さまの見込み通り、やっぱりデートなんかじゃなかったよ。

ウックック。

あの笑顔の秘密はね、

行ってきたリハーサルがすっごく楽しかったんだって。

ヨーロッパはハンガリーという国からきた

弦楽器奏者の4人組が素晴らしいって。

ハンガリーの首都の名前が付いている、

新ブダペスト弦楽四重奏団、という人達だ。

以前も日本の佐賀市でブラームスのピアノ五重奏曲を

一緒に演奏させて貰えたんだよね。

その時も、ご主人さまったら、ハッピーで、

あんなに素晴らしい音楽と響の持ち主と弾かせて頂けるなんて幸せ?、

と感激のあまり、はしゃいでいたなぁ。

今回も、今週の日曜日の9月28日に、

一度は散歩に連れていってもらいたい上野公園

(犬はダメなの?えーっ、そんなー)

の東京文化会館のリサイタルホール

(あ、そう、日本では小ホールって言うのかぁ)

で彼等の演奏会があってね。

前半はモーツァルトとメンデルスゾーンの弦楽四重奏曲が聴けて、

後半でフランスのヴィドールという作曲家

(フランスものだけど、ロマン派時代の人だよ)

のピアノ五重奏曲をご一緒させて貰えるんだって。

ラッキーなご主人さまだ。

彼等の素敵な音楽をみんなに聴いてもらいたい、と

ご主人さまは一生懸命に僕に語ってくれる。

彼等が奏でるヨーロッパの音は、空気と光が溢れている。

そして彼等の素晴らしい音楽・・・、

弦の本当の音色。

ああ、僕も盲導犬だったら聴きにいけるのになぁ。

ただの番犬で、かなり損したよ。

文化や芸術に高い感心と、

犬でありながら音楽面では頗る教養の持ち主である僕には、

痛い現実である。

そう、みんなは考えた事はないと思うけど、

僕は、ご主人さまの奏でるツィーグラー奏法で育ったんだよ。

子犬の時から、ご主人様がピアノを練習する時、

ご主人様の足元に置かれた小さな篭の中で、僕はお昼寝をしていた。

まんまるくなって熟睡していて、可愛かったんだって

(可愛「かった」、とは何?過去型じゃないかい?)。

だから今でも、ご主人さまが練習に没頭すると、

本当は僕も同じ部屋に居たいんだ。

だって、ご主人さまのピアノのイスの真下で寝る為なんだ。

ご主人さまが弾き始めると、すぐに寝てしまうんだよ。

育ち盛りの頃だって、今の今までボールで遊んでいた僕が、

「遊んでー」とご主人さまの膝に鼻でツン、ツンとねだっている最中でも、

ピアノがご主人さまに語り始めると、

みるみる内に僕は夢の世界へ消えてゆく。

誰だよ、今「そりゃ、気絶したんじゃないのか?」なんて言うのは?

ひどいんじゃないか?

ま、いいや。

僕とご主人さまとの音楽の繋がりは、特別なものなんだから。

第三者には、ちょっと解らないかも・・・ね。

僕ら犬族は、かなり敏感なんだ。

聴覚や嗅覚の事等は有名だけど、

魂の敏感さは、かなりのものだよ。

僕もそうだけど、

シュタードゥラー先生が生前可愛がっていた歴代の犬達も、

ご主人さまが大曲のフォルティッシモの所を弾いている時でも、

グランドピアノの真下

(あそこに潜って、ピアノの響を聴いた事は、あるかい?

結構大きな音で共鳴するんだよ、ピアノの底は)で

スヤスヤと眠っていた。

でも、途中から先生の所へ習いに来ていて、

まだ音が堅かったりするお弟子さんが第一音を出すと、

先生のバーニーズ・マウンテンドッグ達は、

代が変っても必ずガバッ、と大きな体を慌ててピアノの下から避難させた。

フォルテの場所なんかは、より犬をスピードアップさせた。

これはシュタードゥラー先生が「興味深いでしょ?」、

とご主人さまにいつも話して下さった。

犬が音の違いに示した行動を

ご主人さまが実際に目撃した事もあるんだって。

そうなんだ。

ツィーグラー奏法で奏でる音楽は、

やはり犬の眠りには、とても心地よい奏法なんだよ。

だから好きだね。

え?

好きなのは、ご主人さまの事かって?

ウ〜ム、奏法だよ、奏法。 

ニャ〜ンちゃって。

僕ら一般犬

(警察犬、救助犬、盲導犬、聴導犬、介助犬達は特別だ。

彼等はヒーローだからね)にとっては、

エサと散歩、(ボール)遊び、

そして眠る事が忙しい毎日の欠かせない仕事だ。

仕事を全うする為には、多忙な犬が必要としている休日は、

一年のうち、ざっと365〜366日なのだ。

そして、雨の日も、風の日も、くる日もくる日も、

24時間のうち最低12時間は寝る事に励んでいるのだ。

スケジュールを簡単に言うと、

起床したらおばあちゃんの部屋の窓辺で朝日に当たる。

外へ出て日向ぼっこ、その後食べたと思ったら寝る。

起きたら遊ぶ。

寝たら又外へ。

帰ったら遊び、少し寝て食べる。

そして遊んで寝て、外へ急ぐ。

寝てから遊ぶ。

最後に外へ。

そして就寝。

寝る場所だって、状況に応じて変るんだよ。

暑い時は、冷んやりする階段室の1階か

階段の踊り場で寝乍ら待機する。

大好きなおばあちゃんの部屋へも何度も遊びに行って、

可愛がってもらって、寝る。

居間には、僕が人間家族全員の行動を把握できる場所に設置された

主寝室ならぬ主寝所があり、

昼夜の大半は詰めている僕の司令塔でもある。

ご主人さまの母親の部屋にも偵察に出かけるし。

ご主人さまのベッドの横の篭へも

夜中の3時や朝の8時に出張する事があるんだ。

留守番の時は、洗面所のバスマットをうまく丸めて寝床に仕立てる。

僕は柔らかい所が好みでね。

間違って台所の扉が少しでも開いていようものなら、

そこのキッチンマットだって

僕のクッションにされる運命から逃れられやしない。

いくつもの寝床を担当する僕は、

つまり仕事のできる犬・・・って事かな?

本当に忙しい毎日だ。

だからこそ、心地よい音環境が、任務に勤しむ犬に充実感を与えてくれる。

わかるかな? 

では、さらばじゃ。

次回も又、皆さんに会えるのを楽しみにしているウイちゃんより

2003年7月11日

ハ〜イ、 皆さ〜ん、初めまして!

やっと待ちに待った僕の、いえ、あの、え〜っと、藤原由紀乃のホームページが開設しました。勿論、主人公は僕だよね。

僕? 良くぞ聞いてくれた!
 
僕は、イギリス人なんだけどドイツ南部・バイエルン州生まれ。

ブチで雑種みたいでしょ、

でも人間世界では「ジャック=ラッセル・テリア」という犬種名を持っているんだよ。

祖父母はイギリス生まれのイギリス育ちで

人間が勝手に評価しているドッグショーで優勝しているけど、

本人達は別に何とも思っていないんだよね。

僕の父親は、この犬種で唯一、警察に就職できるような資格を持っていて、自慢のパパだ。
でも、僕らのサイズじゃ、いくら警察犬になっても

泥棒さん達は笑っちゃうだろうから、パパの資格も唯の紙切れさ。

トイレにでも飾って置こうか、なんて言ってたなぁ。

血統書に載ってる僕の名前は”Akim vom Vilstal”なんだけど、

「日常生活の中で呼びにくいし、お前は英国の犬種だからトルコ系のAkimは似合うかどうか?」と言って

ご主人さまが英語圏の名前を付けてくれたんだ。

もう少しでチャーチル元イギリス首相と同じ

”Winston”になるところだったけど(悪かぁないけど、葉巻は嫌いだし)、

偶然が重なって ”Willis”になったんだ。

映画界のブルースと同じにしないでね、僕は違うんだから。

まぁ、ご主人さまの理想とは離れたハミ出しの所は、

例の「ダイ・ハー○・1〜3」に似てるかも知れないけどさ。

まわりの人が吹き飛ばされる程のエネルギーと元気が僕の取り柄だしね。

友達は、僕の事を愛称の「ウイちゃん」で呼んでるから、

君達にもそう呼ぶ許可をあげるからいいよ、ね。

そんなこんなで面白い家族を持つ僕は、

ある日、ご主人さまの藤原由紀乃に巡り会ったんだ。

本当は僕がご主人さまを飼っているんだけど、

彼女はプライドが高いから内緒にしててね。

僕はミュンヘンのご主人さまの所へ引っ越して、厳しく育てられてきて、

そうそう、ご主人さまのピアノの恩師で

優しいアンナ・シュタードゥラー先生にも撫でてもらったりしたんだよ。

グフフっ。

ミュンヘンって結構いい所なんだ。

のんびりしていて、田舎っぽくて。

シュタードゥラー先生のおうちはミュンヘン市内でも東端なので、

車で10分もあれば、すぐ緑いっぱいの郊外の景色が広がるんだよ。

牧畜農家も多いので、牛達が首輪から大きな鈴をぶら下げて、

草ばっかり食べているんだ。

僕はヤダね、兎じゃないから。

森や草原や畑の間に可愛い村が点在していて、

赤い屋根の農家が村の中心に建つ

教会のまわりを囲んでいるのは、まるで羊の群だね。

僕も良く本物の羊や牛を追っかけて、

後でご主人さまに叱られたもんだ。

南にはアルプス山脈が見渡す限りに連なっていて、

天気の良い時にお目見えする景色は最高!

僕も気分は最高!

だって、日本と違って、自然がドッグランなんだから、ね。

僕はね、他の犬と違って人が好きなんだ。特に人ごみがね。

普通じゃまったく考えられない事なんだけど、

ご主人さまと一緒に9月開催のミュンヘン一のお祭、

「オクトーバーフェスト」へも出掛けたんだ。

普通の犬なら人の波に怯えるし、

足を踏まれたりして最悪だけど、僕は楽しんじゃった。

身軽で俊敏だから、忍者のように、パッ、ササッ、ヒラリッ、とね。

他の犬ならご主人さまは絶対にああいう場所へは連れていかないだろうさ。

実際、人ごみの中から「動物虐待だ!」と

ご主人さまを威嚇する人間もいたからね。

お祭でビールばっかり飲んでいて、つまんなくないのかねぇ、人間って。

ご主人さまは、お酒が飲めないから、お祭恒例のお菓子

(焼きアーモンドが好みなんだって!

砂糖でアーモンドを焼いてあるから、香ばしいんだ、これが。

外側はキャラメル化してアーモンドの香が染み込んだ層がクリスピーで、

中のアーモンドはジューシーで、日本でもやって見れば

絶対に大反響間違い無しなんだけどなぁ)を頬張ったり、

アトラクションの間を散策したり、と割と地味な参加の仕方なんだ。

僕は超絶好調だったね。変わってるでしょ?

日本人観光客もいっぱい見たよ。

みんな仲がいいんだね、いつも一緒に行動してるから。

えっ、そういう事じゃないって?

ま、いいや。でもアメリカ人観光客と一緒で、カメラを使うのが好きらしい。

陽が沈むと、親子連れや観光客で賑わっていた昼間とは

全く違う顔ぶれの祭客が現れるので、

僕はご主人さまと一緒にその前に帰っちゃった。

だって、ビールを飲み過ぎる人に救急車

(あれって、犬の繊細な耳には迷惑なんだよね、うるさいサイレンだから)

は来るわ、人間の雄同士で威嚇し合って喧嘩はするし、

折角のお祭を乱暴者が台無しにしてしまうんだな。

居合わせたら危ないよね。

人間って、何故最後まで喧嘩をし続けるのだろう?

僕らは喧嘩する前に相手がもっと強いと感じればやらないし、

喧嘩をしても相手が降参すればすぐに止めるもんね。

文化がないよね、人間の多くは。

仕方ないね、ホント。

ミュンヘンっ子(日本で言う江戸っ子みたいなもの)にすっかりなった僕が、

大陸を越えた遥か向こうの国(日本って呼ばれてる)へ

国際引っ越しをする事になったのは、1999年5月のことだった。

えっ、なんで?と思ったけど、ご主人さまが行く所は

僕の行く道でもあるからね、潔く付いて行ったのさ。

でなきゃあ男がすたる、ペケペンペンペン、っと?。

飛行機に乗って日本の成田に着いたのは5月22日で、

それから検疫期間があった。こういうの、猫はないのにね。

ぐっと堪えて(僕は明るい性格だから乗り越えたけど)、

日本の法律が決めた検疫で「日本人」にしてもらった。のかな?

ご主人さまは気が気じゃなかったようだよ。

「笑う門には福来たり」だから、僕にぴったりさ。

大丈夫だったよ。

でも前よりは甘えん坊になっちゃって、少し恥ずかしいな。

日本ではご主人さまのおばあちゃんに惚れ込んじゃってね。

もう、それはそれは可愛がってくれるんだから。

一度も怒られた事がないから、

おばあちゃんは、ご主人さまと違ってきっといい人なんだよな。

あー、いい人と巡り会わなきゃーねぇ。

だから日本は日本で楽しい。

東京はもの凄く空気が悪いから散歩もなんだか不健康になりそうだけどね。

でも、もうすぐ人間の乗り物の排気物の事が厳しくなるらしいし、

ま、人間達を許しとこっと。

ドイツと比べると、勿論感心する事以外に

いろいろと違う事、変わっている事、珍しい事、

不思議な事、理解しづらい事等もあるけど、

僕の考えや、文化の違いの面白さ等について

少しづつ伝えていくから楽しみにしていてね。

今回は、自己紹介も兼ねてたから長くなったけど、これからも宜敷く。

じゃあね、まったね〜!

陽気なウイちゃんより

念願のサロン・コンサートによせて

皆様、お健やかにお過ごしの事とお慶び申し上げます。

この度は、2009年10月12日(祝)に、念願のサロン・コンサートを再会することが叶います。 永年続いた広尾のサロン・コンサートの会場は、楽器の不具合の為に諦めざるを得ず、新たな場所を探し続けておりました。しかし、楽器、空間、お食事の条件などが揃ったところが見つかりませんでした。 ホールと違い、間近で演奏の微妙なニュアンスを味わえるサロン・コンサートが大変ご好評を賜っておりましたのと、日本ベアタ・ツィーグラー協会主催のピアノ・リサイタルをお休みさせて頂く今年こそは、何とか良い場所を、と願っておりましたら・・・、なんと、藤原由紀乃後援会のお心篤き会員の方が、素晴らしい所をご紹介して下さったのです! 品川駅から歩いて10分、住宅街の路地を曲がったその時!なんと、ドイツ地方の伝統的な造りの建物が、木々に見守られて2棟も建っているではありませんか!ここはドイツ?えっ、でも、確か、品川駅の近くでは? 一瞬にして、まるでドイツへ来たみたいでした。懐かしさが私の胸を躍らせました。レストランに入ると、雰囲気がドイツですが、出るフランス料理が絶品。オーナーの指揮者の方のこだわりで、建具、柱、窓、そして床板まで、すべてドイツで伝統家屋を支えていたものばかりだそうです。特に、レストランとコンサート会場の床板は、厚みのある無垢材の為、音響的には申し分ない存在となっております。 ドイツの中世の市街中心部に今も残るような石畳を挟んだ別棟に入ると、下の階にはクリスマスグッズを販売しているお店があり、そこはドイツのクリスマス市そのものでした。 上階の、コンサート会場とチャペルとして使用される空間は、またなんと素敵なのでしょう。そこに待っていたスタインウェイの歌い易い素敵な音色が、会場の素晴らしい音響と融合する此処こそ、サロン・コンサートには理想的な場所でした。

品川駅を降り立てば、ドイツに行ける、そしてドイツでのサロン・コンサートとフランス料理が楽しめる・・・、そんな「ドイツへの音楽の旅」をご一緒しませんか? 当日、ドイツの素敵な空気を皆様方と共に味わえるのを心待ちにしております。

2009年9月吉日 日本ベアタ・ツィーグラー協会藤原由紀乃

2013年3都市リサイタル・シリーズによせて

皆様、お健やかにお過ごしの事とお慶び申し上げます。

本年、2013年(平成25年)2月22日にヴォルフガング・ザヴァッリッシュ先生が亡くなられ、大変悲しく思います。

ザヴァッリッシュ先生に初めてお会いしてから、来年で30年になります。当時17歳だった私は、日本のNHKテレビとドイツの国営第二テレビ放送局ZDFとオーストリアのテレビ放送局ORFにより企画された「日独交換演奏会」のドイツ側の演奏会のソリストに抜擢されたのでした。恩師アンナ・シュタードゥラー先生は、とても喜んで下さいました。何のコネクションもなく、ヨーロッパ各地の主催者同士の口コミだけで各地に呼ばれて演奏活動をしていた私に、このようなお話が来た事を、二人で不思議がっておりました。随分後になって知ったのですが、ザヴァッリッシュ先生が私の演奏を聴かれ、この「日独交換演奏会」に推薦して下さったのでした。

この日独間の「交換」演奏会とは、先ず東京のNHKホールからNHK交響楽団とザヴァッリッシュ先生の指揮でアンネ=ゾフィー・ムッターをソリストに迎えての音楽会を生放送で日本のNHKテレビ、ドイツのZDFテレビとオーストリアのORFテレビで3ヶ国同時に衛星中継し、その「お返し」として、1984年(昭和59年)5月13日にミュンヘンのオペラハウスから若杉弘先生の指揮でバイエルン国立管弦楽団と私が、矢代秋雄先生のピアノ協奏曲を演奏した音楽会が、同じく生放送で日本のNHKテレビ、ドイツのZDFテレビとオーストリアのORFテレビに3ヶ国同時に衛星中継されたのです。この「母の日」に、日本にいる母がテレビで私の演奏が聴けたのは、嬉しいプレゼントになりました。

この「日独交換演奏会」の事前の打ち合わせにと、私はミュンヘンのバイエルン国立歌劇場に呼ばれた時、ドキドキしながら「音楽総監督」と書かれたドアをノックすると、「どうぞ」のお返事にドアを開けました。ザヴァッリッシュ先生がにこやかに迎え入れて下さり、ウィットを秘めた、とても澄んだ、温かい眼差しで「君が藤原由紀乃君だね」と微笑みかけて下さいました。私の緊張感は一気に消え、とても和やかな雰囲気の中、日程や曲目、アンコールに至までの打ち合わせが成されていきました。ザヴァッリッシュ先生は最後に2冊の黒くて大きな本を棚から取り出され、「これは、今迄演奏した曲の記録なんですよ」と私に見せて下さいました。「こちらの本は作曲家と作品別で、それらをいつ、どこで演奏したかを書いておいて、もう一冊のほうには全ての演奏会を日付順にし夫々の曲目を記しておく。そうすれば、以前、どの都市でどの曲を演奏したのかが、一目だ確認できて、とても便利ですよ。」と教えて下さいました。

2001年(平成13年)にザヴァッリッシュ先生が来日され、ご多忙にも関わらず、NHK交響楽団用の大きなリハーサルスタジオで、私一人だけのオーディションをして下さいました。お知らせを受けてから日にちがなかったので、サッと出せる中からバッハの半音階的幻想曲とフーガ、ブラームスのパガニーニヴァリエーション全2巻、シューマンのトッカータなどを弾かせて頂きました。演奏後、ザヴァッリシュ先生が「素晴らしい!」と仰って下さった時は、私は「シュタードゥラー先生!ザヴァッリッシュ先生が、このツィーグラー奏法の素晴らしさを認めて下さいましたよ!」と心の中で歓声をあげていました。アンナ・シュタードゥラー先生のライフワークである、ベアタ・ツィーグラー奏法の素晴らしさを解って下さる方が、尊敬するザヴァッリッシュ先生であった事が有り難く、胸が熱くなりました。ザヴァッリッシュ先生は「や〜、オーディションという場で、あのパガニーニ・ヴァリエーションが聴けるとは!しかも全2巻を!」と仰り、私に「ピアノ・コンチェルトのレパートリーは?」と尋ねられ、「全てあります」との答えに頷かれました。その後はピアノ協奏曲のお話で盛り上がり、ザヴァッリッシュ先生が曲の初めのホルンのソロを歌って下さる中、ブラームスのピアノ協奏曲 第2番を少し弾かせて頂いたりと、和気あいあいとしたオーディションでした。

ザヴァッリッシュ先生は、持病の悪化の為、再来日が叶わなくなられ、先生との日本でのピアノ協奏曲は実現しませんでした。しかし、恩師アンナ・シュタードゥラー先生と同様、ヨーロッパ音楽の内面的な伝統を同じ様に汲んでおられ、同じ様に偉大な音楽家であられたザヴァッリッシュ先生が、ツィーグラー奏法による演奏を絶賛して下さった事は、ツィーグラー奏法にご生涯をかけられたシュタードゥラー先生のご苦労が報われた!と感じた。何よりも嬉しく、有り難い事でした。

今度は、私が一生涯をかけていく番です。その事を、ザヴァッリッシュ先生は2月22日を通して、私に激励下さったように感じております。心新たに、誠をこめてまいります一音一音の響を、6月8日の大阪ザ・フェニックスホール、6月30日の東京文化会館小ホール、そして7月6日の名古屋 電気文化会館 ザ・コンサートホールにて、お聴き戴けましたら、この上ない幸せでございます。

平成25年3月吉日 日本ベアタ・ツィーグラー協会  藤原由紀乃